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2006年06月15日

京都のぶぶづけ、ふさえのぴんぼけ(ことばの杜から)

大阪府の太田房江知事が2008年の主要国首脳会議(サミット)関西誘致を巡り、会場をどこにするかで京都と大阪が競っているのに苛立ってか、

>>京都は(各行事を)どこで開催するか、警備をどうするかの詳細を
>>示すべき。ぶぶ漬けというのもあるが、はっきりしてもらわないと

と言ったという。この「ぶぶ漬け」の部分は、読売新聞等は報道しているが、朝日新聞には出てこない。

しかしはっきり言って太田知事の発言は意味不明だ。
読売新聞は

>>「ぶぶ漬け」という言葉が、「京都でぶぶ漬けを勧められたら
>>『そろそろ帰って』の意味」などと使われることを踏まえての発言

としているが、サミット開催の覇権争いと何の関係があるんだろう?
また、「ぶぶ漬け」と曖昧さは何の関係もないし、京都開催案のどこに曖昧さがあるというのか?
京都は京都迎賓館を開催場所として提示しているし、京都迎賓館の警備等についてはブッシュ等々これまで何人か外国元首の来日等々で実績が積まれているわけで、曖昧さは何もない。
大阪府こそ、今月になって大阪城を主会場とする案を打ち出したばかりだが、大阪城はまだほとんど実績はないはずだ。大阪こそ詳細を示すべきだろう。

と、わざわざ「ことばの杜から」にこの記事を載せたのは、この「ぶぶ漬け」に対する反応の異常さに思うことがあったから(笑

そもそも京都の「ぶぶ漬け」伝説を作り出したのは大阪落語である。京都と大阪と言うと、他地方から見ると同じように見えるかもしれないが、事ほど左様に感覚的にはかなり違うものがあるのだ。
おそらく太田知事は、そのあたりを生齧りして、大阪人の受けを狙って「ぶぶ漬け」発言をしたのだろう。
しかし太田知事の発言はどう考えてもピンボケと云うか、生半可な知識を使ったスタンドプレーにしか思えない。彼女が生まれも育ちも関西人でない故の勘違いなのだろうか。それにしてもその点すら指摘出来ないマスコミもどうかしてるが。

まぁ、私自身生粋の京都人ではない(狭い意味では京都市内、それも中京区全体と上京区・下京区の一部に代々暮らす人だけが生粋の京都人といえる)。
生粋ではないが、このあたりの言語感覚はうちのような京都文化の影響濃いディープサウス(京都府下)でもわかるし、実際に子供の頃は「ぶぶ漬け」表現は普通にあった。
たとえばこんなページがある。

>>ここでお茶づけを本当に食べてしまうと、「やぼなお人やわ」と
>>言われることになるわけです。 「早う帰ってや」という意味が
>>含まれていることが多いそうです。

と書かれているが、所謂「京都のぶぶ漬け」伝説は大なり小なりこんな認識を元にしていると言っていい。
だとしても・・・太田発言はどこでどう絡んでくるんだろう?謎である。

ま、それはさておき、実は「ぶぶ漬け」の意味は上記とはまったく異なる。
そもそもなぜ「ぶぶ漬け」なのかを考えてみれば、ある程度は気付くはずだが・・・
「ぶぶ漬け」
一般にはお茶漬けとされるが、実際は「お湯漬け」である。お湯と言うより、だし汁が多いが。
これは言ってみればファーストフードだ。同時に簡素な食事も意味する。
帰りかけた人に「ぶぶ漬け」を勧める。それは追い返すのでも何でもない。そもそもすでに帰りかけてるのだから、何も言わなくても帰るのだ。
それをわざわざ「ぶぶ漬けでも」と勧めるのはなぜか?
それは帰って欲しいわけじゃないですよ(追い返すんじゃない)、と云う意思表示でもあるし、何も用意はしてませんが、(あなたが)必要なら「ぶぶ漬け」程度のもので良ければすぐに用意出来ますよ、と云うホストとしての役割を踏まえた発言なのである。

と同時に、「ぶぶ漬け」を勧めることで、判断は客人に投げられたのである。ここでどのような判断をするか、それは客人が自分の立場や自分とホストとの関係などを勘案して決めることだ。本当に親しい間柄であれば受け入れるのは当然で、ホストもそれを期待している。
だから相手がこの言葉をそのまま受け取ったとしても、すぐれた京都人は決して「やぼなお人やわ」などとは思わない。それは相手がホストが思っている以上に親密感を感じているのか、それともこのような繊細な言葉の文化に馴染んでないだけなのか・・・
やぼとは思わないが、この人は野人だなぁ、とは思うかもしれない(笑

似たことだが、たとえばどこかへ出かける途中で知り合いに会ったとする。すると相手は必ずと言っていいほど「どちらへ?」と聞いてくる。ここでも聞かれた人は、相手との関係を勘案して言葉を選ぶ。
親しい相手であれば、「実は誰それがなんとかで○○へ行かなあかんようになって・・・」とか詳細にしゃべる。しかし普通は「ちょっとそこまで」とだけ答える。聞いたほうも、その場合は「気ぃつけて」とだけ言って送り出す。

「どちらへ?」
「ちょっとそこまで」
「ほな、気ぃつけて」

馬と話すとも海賊と話す言葉とも揶揄される英語にだって似た表現があるではないか。

How do you do?
I'm fine, thank you.

どんなにしんどくても、それほど親しくないなら普通は「I'm fine」だろう?
それ以外にどんな受け答えをする?
同じことだ。

「ぶぶ漬けでもどうどす?」
「いや、今日は急ぎますので、いずれまた」
「そうどすか。ほな、気ぃつけて」

そう、たとえ東京へ、あるいはアメリカへ出かけるとしても「ちょっとそこまで」なのである。どんなにお腹がへってて、急用もなくても「いずれまた」なのである。
それで通じる、お互いに京都人であれば。余計な詮索はしないのである。それが都会だ。

つまりは「ぶぶ漬け」にしても、「どちらへ?」にしても、決まりきった言葉の受け応えなどないのだ。ただ、親しくない相手であれば上記のような決まりきった受け答えが用意されている。それで余計な摩擦が避けられる。
京都人は冷たいと良く言われるが、そうではない。日本で唯一の真の都市であった長い歴史の中で、多くのことを学習し、繊細な言葉の文化を育んできたのだ。逆に言うと、正しい受け答えが出来ない人間はよそ者、要注意人物である。
そのようにして、京都は真に信頼がおける人物かどうかを試すたくさんの「リトマス試験紙」を作ってきたのだ。それは何度も何度も戦乱に翻弄され、他国からの侵入者、侵略者に蹂躙されながらしぶとく生き残って来た都人の防衛策でもあったわけだが。
しかし一旦その「試験紙」にパスした時、京都は相手を熱狂的に受け入れる。あの幕末の熱気を、そして明治以後の進取性を見れば、それは明らかだ。

ところで、ちょっと「ぶぶづけ」で検索したら面白いページがあった。

京都人の陰謀

ふっふふふふ。こういう言葉の遊びをサラっとし、またサラッと受け流せる人間を京都の人は尊ぶのだ。

投稿者 shoda T. : 2006年06月15日 19:26

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コメント

京都と奈良は中学校の修学旅行で行っただけ、なわけですが、ここ数年、遊びに行きたいところの上位にいつも居座っています。

それはともかく、大阪府知事の発言はほんとに意味不明ですね。不適切な引用というよりも、不可解な引用、でしょう :-)

京都で思い出すジョークというと、「さきの戦争」=応仁の乱、というのがあるなあ。

投稿者 rcsakai : 2006年06月16日 17:25

う?ん、どこに魅力あるんでしょう(笑
京都・奈良というと、あまりに身近過ぎて・・・

さきの戦争って言うと、鳥羽・伏見の戦いがあるわけですが、あれは郊外だから市中の人にとって身近なのは応仁の乱になるんでしょう(違

投稿者 shoda T. : 2006年06月16日 22:15

>どこに魅力あるんでしょう

土地に限らず、身近な存在だと、よそから人がそのエリアに入ってきたとき、ふーん、てな感じですよね。

どうして行きたいかというと、魅力を感じるか、という以前に、なにしろバカなチューボーだったのでよく覚えてない :-) というのがあります。もともと寺社見物は好きなので、覚えてないのはもったいないよなあ、と。

投稿者 rcsakai : 2006年06月18日 12:26

たしかに中学生で寺社拝観と言っても、よほどの奇人でないと興味わかないでしょうし記憶も(笑
で、このあたりだと、そういう寺社へは小学生の、それも低学年で、ってことが多いんですよね。
実際、私にしても大仏殿とか法隆寺、清水寺とか金閣なんて小学生の時以来一度も行ってません(笑
ま、大仏殿の横はよく通るんです↓けどね(w

一番良く行ってるのは二月堂(東大寺)。ここはもちろん観光ではなくて日常生活の一部ですね、たぶん。
四、五歳の頃の写真も残ってますし(うっすら記憶・・・)、最近は年数回は行ってるような・・・四季折々の変化も美しく、奈良盆地も一望出来、お薦めの夕日スポットでもありますが(^^ゞ

投稿者 shoda T. : 2006年06月18日 22:45

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