« 茶番メール | トップ | UNZIP32.DLL Ver 5.41β7 »

2006年02月22日

ワープロ専用機の終焉(日常非日常)

なんてことはとっくの昔のことかと思ってたが、そうでもなかったようだ。

東芝、ワープロ専用機のサポートを3月末で終了

元々からワープロ専用機なんてのには懐疑的であったσ(^_^;)としては、感慨も何もない。
そもそもワープロ専用機と言っても、中身はパソコンと何も変わりはない。それを専用機として、いわば大手メーカが「囲い込み」の手段として専用機と言う仮面を被せて売っていただけ。それが私としての認識なんだけど(^^ゞ
極端な話、NECの文豪なんて、ある時期以降は完全にCP/Mマシンだったし、若干関係してなくもなかったパナな高級機はIBMの5550と中身は(作っているところも)同じだった。
逆に専用機専用機していたOASYSなんて、機種ごとにフロッピーのフォーマットもファイル形式も違っていて唖然としたこともあった。
ワープロ専用機はなくなり、ソフトだけはPCへ移植されたが、結局のところ、PC上でブレークしたものはない。ハード込み、ハード縛りがあったからこそ売れていただけ、と言う明白な事実である。

と、こういうことを言うと決まって「専用機はプリンターが一体化されていたり起動が速かったりと存在価値がある」と言い出す人がいた。
でもねぇ、そんなにメリットあるんだったら、そういうハード構成でパソコンを売ればいいじゃん、と言うのが・・・でも結局その手のパソコンはブレークしなかった。
ってことはワープロ専用機なんて、所詮「ターンキーシステム」として大手が売っているからこそ売れただけの存在だったってことだ。
実際、そういう売り方に早めに見切りを付けた米国では特殊なもの以外はワープロ専用機は急速に滅んで行った。
日本でもたとえばIBMの5550なんかはワープロ専用機をそのままPC化するプロジェクトだったのだが(実際、あの使いにくいキーボードはワープロ専用機由来・・・(T_T))、結局あだ花に終わってしまった気がする。
専用機と言うのは、よほど需要が堅い分野でないと成り立たないような気がする。実際、ゲームマシンさえ汎用PC化して行ってる現実を見ると、改めて確信するのだ。

投稿者 shoda T. : 2006年02月22日 22:35

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://shoda.tk/MT/mt-tb.cgi/186

このリストは、次のエントリーを参照しています: ワープロ専用機の終焉:

» ワープロ専用機:考察 from 日々是口実 -- backyard --
先日のエントリー(ワープロ専用機の終焉)では、Rupoのサポート終了に関連してち [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年02月24日 00:23

コメント

ワープロ専用機のメリットは、組み込みOSで、OSの存在を意識させない作りになっている事から、使用者がいじり壊してしまう心配が無い、はず……。
そして、専用機であるから、それしかできないのだから、他の事を覚えなくてすむ。
文書の作成しかしないのであれば、専用機で充分事足りるのだ。
ワープロ専用機全盛期のPCは、一般の家庭にとっては高いおもちゃで、ワープロ専用機で充分事足りるのであれば、それで良かったのだ。

使うか使わないか分からんような、多機能化、高性能化で、だんだんPCのようになっていって、そしてPC自体の価格が安くなってきて、それでワープロ専用機が廃れたんだろうな。

プリンタが一体化していてコンパクトにまとまった本体は、今でこそ広辞苑クラスのどでかブック型と嘲笑しているが、あの当時としてはなかなか使い勝手が良かったカシオワード。

投稿者 大島 敬行 : 2006年02月23日 00:52

 ワープロ専用機は,リコーの初期の2行表示しかできない頃のマイリポートと,40x11(くらいだったかしら?)表示の可能な東芝のRupo70FIIを持っていました。70FIIは自宅の処分機置き場に転がっています。(笑)
 70FIIの時代は,充分専用機の存在意義があったような気がします。その頃はノートパソコンなんてありませんでしたから。DynaBook SS001 (初代DynaBook)が登場したのでさえ,FIIより3年ほど後です。で,FII並みに使えるようになったのはEZ386の頃ですから,Rupoに遅れること5年以上になるわけで…。

投稿者 Micco : 2006年02月23日 22:07

えっと・・・みなさん日本の大企業の術中にはまってるようで(^^ゞ
そういうのはワープロ専用機のメリットでもなんでもないし、あの時点でノートPCのようなものがなかったってのも大手企業の戦略の結果であって、それがワープロ専用機の存在意義と言うのはちょっと違うのではないかと。
まぁユーザとしては選択の自由がなかったわけだから責めるつもりはありませんが(笑

何年くらいだったかちょっと忘れましたが(たぶん・・・80年代?)、NECが米国で出したノートPCがありましたが、米国人のNetware技術者が来日した時に持って来てホテルで使っているのを見て衝撃を受けたことがあります。WindowsCEマシンくらいの大きさでDOSマシンだったか・・・確かHDD内蔵で、CEマシンと言うよりリブレットやLOOXSの前哨とも言うべきマシンですね。
日本の企業はあの当時すでにあんなものを作るだけの技術がありながら日本では知らん振りしてワープロ専用機を作っていたわけです(-.-)

投稿者 shoda T. : 2006年02月23日 22:29

1980年代前半であれば、ノートパソコンではありませんね。
最初のラップトップパソコンは1985年東芝が出しています。
ノートパソコンは1989年にDynaBookと9801N(98NOTE)が登場しています。90年代前半にラップトップ→ノートパソコンのリプレースが起こっています。でも、最初の頃のノートパソコンにはHDDが搭載されていません。

実はこの頃、海外向けパソコンの設計チームにいました。設計していたものにはHDD搭載していましたが、ラップトップでした。それでもギリギリの大きさ。80年代にCEマシンくらいの大きさでHDD搭載はありえないと思います。海外製品もチェックしていましたから、そんな画期的なマシンがあったら覚えていると思うのですが・・・。

だから、Shodaさんの「あんなもの作る技術がありながら・・」という非難は的外れだと思います。

投稿者 水野 : 2006年02月24日 00:40

80年代と言っても、もちろん後半です。あるいは90年前後。
Netware3.0(3.1xJではない)がたしか90年くらいですから、その頃です。
HDDは記憶違いかも。でもフロッピーでDOSって気はしないので・・・

いずれにせよ、NECと言うよりNIS(NEC Infomation System)と言った方がいいですね。あの頃のNISは数々の斬新なプロダクトを企画して出してました。製造は日本のNECなのは当然としても、そのアイデアやデザイン、技術がほとんどNEC製品に反映されないのが不思議でしたが・・・
日本でも有名だった MultiSync なんかでも、国内では手に入らず、輸出手続きされたものを逆輸入・・(以下自粛:w)
PC98用のディスプレーとは似ても似つかない素晴らしいものでしたからねぇ。
しっかし、あのノートPC・・・なんて言ったかなぁ(-.-)
あぁそうだ!
Handy98ってのがありましたね。あれ・・・90年発売ですね。あれのベースになったやつかなぁ。
もっと薄かったと記憶してるんですが、やっぱりHDDはなしか。でもかなり発熱してバッテリーの持ちが悪かった記憶があるので、単純にメモリーオンリーなマシンではなかったような気もするんですよね(^^ゞ

投稿者 shoda T. : 2006年02月24日 10:39

80年代前半と言えば、やはりCOMPAQやOsbone-1ですね。あれをラップトップと言うのは語弊あるけど、やはりその前哨でしょう。
あの分野でも日本はちょっと違う方向・・・ワープロ専用機でバベルの塔を築いていたわけで、PC互換機をベースに一直線にPDAまで進化させた米国に決定的に引き離されてしまったってことです。
部品レベルでは日本の天下だったとは言え、やはり外見はともかく、ベース技術として「独自」の専用機にこだわりすぎたのではないか?と言うのが私の論旨です。
けっして専用機そのものを否定してるわけではありませんが、たとえば携帯電話のようなデザインや機能面で専用機化が必須の分野でさえ、今どんどん汎用化(PDA化)して行ってるわけで、ワープロ程度の機能で専用機の必然性は何もなかったと思うわけです。

投稿者 shoda T. : 2006年02月24日 10:48

みんなパソコンが自由に使えるなら、パソコン+ワープロでも充分だとは思うのですが、やはりそうでない人もいる(というかそちらの人の方が多い)わけで、必要性はあったと思っています。
ノートパソコンとかPDAのように小型化という方向に行かなかったのは、やはりそうした方々向けに「より使いやすく、わかりやすく」ということだったのでしょう。まぁ、プリンタと一体になっている時点で、小型化には限界がありますし。
独自規格についてはその通りなのですが、ワープロ全盛期はWindows3.0登場より前、DOS/V機よりも前で、独自規格=差別化という時代だったから仕方がないと思うのですよ。

Handy98は、マグネシウム合金の筐体でした。たぶん、世界初だったと。作っていた業者がすごい近くにあって、検討したんだけどとても採算ベースに合わなかった…。そういえば、Handy98には、一太郎のサブセット版みたいなのとサスケという表計算ソフトが添付されていましたね。

投稿者 水野 : 2006年02月24日 11:15

いや、ターンキーシステムを否定してるんじゃないんです。
と言うか、逆ですね。専用機が必要な分野には、ベースとして汎用な技術を利用して、その上にターンキーシステムを構築すればいいじゃないかってことです。
裸のシステムでも使いこなせる人には裸のまま売ればいい。当然ですが価格は裸の方が安く。サポートに差を付けてもいいですしね。
ところがワープロ専用機ってのはそれが逆転してしまってるわけです。ターンキーでサポート付きで安く出し、汎用のPCは高く売る。あの価格のどこにソフトの値段が入ってるの?ソフトをどんぶりにして誤魔化すなんてずるいじゃないかってこと(笑
けっきょく末端でソフト書いてる人が一番バカみてる気がするんですよね(-.-)

投稿者 shoda T. : 2006年02月24日 12:45

あー、ハード屋さんとソフト屋さんで視点が違うようですね。
ただ、ワープロ専用機はパソコンよりも大きな市場でしたから数も見込めたし、ASIC起こしても採算が取れたんですよ。まぁ、低価格化は部品メーカーへのコストダウン圧力を強めたとも言えますが。
あくまでも当時の状況下では、という話です。

今なら、汎用システムの上に専用に特化した製品を作ることもできるとは思いますが。

投稿者 水野 : 2006年02月24日 14:34

いや、そもそもその「市場が大きい」と言うのがメーカの戦略であり(笑)・・・乱暴な言い方すれば、ワープロ専用機の市場よりもワープロ+PCの市場の方がより大きいわけで、米国なんかはそういう判断でPCに資源を集中したのだと思うんですよね。
専用機の方が余分なものを減らしてコスト削減出来ると言うのがメーカの建前であったのはわかりますし、日本のメーカが数十円のコスト削減にも血眼になっていたのはわかるんですが、それでも敢えて言えば、なんか違うんじゃないかってことですね。それはPCのコストダウンのスピード見れば明らかなんだけど、日本のメーカはなかなかそういう考え方が出来なかった。
と言うか、コストって言うのは部品の価格だけじゃないはずなのに、それ以外の見えないコストを別枠にしちゃうズルさが日本の、特に大手にはあるんですよね。どんぶりにしちゃうって言うか・・・あのあたりは専業メーカにはまねの出来ないことですね :-)

投稿者 shoda T. : 2006年02月24日 23:37

しきりにメーカーの戦略論を唱えていますが、そうじゃなくて、「ワープロ専用機で用が済んでいた、それで充分だ」って人達の需要を満たしていた、そのようなケースについてはどうお考えですか。
消費者はバカでメーカーの言いなりになってしまっていたからこのような市場が形成されてしまった、このような主張に取れますが、そうなのですか?
あの当時は、一般の家庭ではPCなんて高嶺の花で、ワープロ専用機ってのは、メーカーは良い物を作ってくれたと思っていました。
発言に、消費動向がつかめていないかのような感じを受けます。

投稿者 大島 敬行 : 2006年02月25日 00:47

違います。それにどっちかと言うと、私の言ってるのは設計論であって表層的な製品仕様ではないのです。

消費者が安くて良いものを買うのは当然で、バカになんかしてません。でもほんとに安かったのか、良いものだったかも考えないと。
ま、年賀状打つくらいしか使ってないよ、と言う突っ込みは別として(笑)そのワープロで作った文書はどうなりましたか?PCに乗り換える時に操作などで苦労はしなかったのか?とか色々ありますよね。
べつに自慢するわけじゃないけど、今私が使ってる送付状のテンプレートなんて「20年もの」です。CP/MからDOS、そしてWindowsと、自作ソフトだからってのもあるけど、これだけ使いまわし出来てるのはそれなりにプラットホームを選択してきたからでもあります。

戦略戦略言ってますが、どこにメーカの戦略があります?つまりは場当たり的にその場その場で一番安あがりを考えて来ただけじゃないの?って言ってるんです。つまり「戦略」ってのは皮肉なんですけど(笑
その結果、メーカ自身が疲労困憊してるわけで、蓄積として何が残ったのか?ですね。利益も技術も客もたいして残らなかったんじゃないのか?ってことです。
メーカにしても事業は崩壊したけどサポートだけは残ったわけで・・・トータルに見たらけっして安くもなかったんじゃないの?ってことです。

技術性のある工業製品と言うのは、今年のりんごは安くておいしかったね、と言うのとはちょっと違うわけですよね。りんごなら、次の年は高ければ別の果物でがまんしとこうか、で済みますが。
それでもメーカ(農家)の方は、じゃぁ今年はりんごが安く作れてたくさん売れそうだからりんごをたくさん作りましょうか、なんてわけには行きませんよね。10年、20年先のことを考えて木を植えるわけでしょ。工業製品だって、ある意味同じなわけですが、目先を追うやり方も取ろうとすれば取れる。そこが木を相手にするのとはちょっと違うわけで、それだけに「戦略」と言うのが重要になるわけです。
PCの場合、ソフトもハードもなんでもかんでも米国製に席巻されてると嘆く人がいますが、それは結局彼らの方には戦略があったってことですね。悲しいかな、場当たり的に値切ってきたツケが今回ってきてるわけですよ。

投稿者 shoda T. : 2006年02月25日 12:13

文書の使い回しって、そんなにしたようには記憶が無いです。
取りあえずフロッピーに記録していましたが、実際には、それは二度と使わない物ばかり。
ワープロ専用機からPCへの移行なんて、個人レベルじゃ、物書きでもない限りそんなに困らなかったんじゃないの?
自分は困った事なんて無かったです。

ハード的には、父親は困っていた。
何せ、そのワープロ専用機は、50音配列だったから。
でもそんなの"慣れ"が解決。
50音配列キーボードって、実はかなり打ちにくいよね。

投稿者 大島 敬行 : 2006年02月25日 23:10

コメントしてください

名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスはブログ上には表示されません。私に届くだけです。 TypeKey ID のサイン・インも必須ではありません。持ってる方だけサイン・インすればいいです。




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)